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ころなから おかえり。

 コロナにかかった仕事の知り合いが1ヵ月ぶりに職場復帰しました。

職場復帰して、事務所に自転車で。「コロナから、おかえり」と言って、まず、パルスオキシメータで測定をすると、酸素濃度は91~95%、脈拍120~130あるんです。「苦しい」と言って、しばらくじっとしてないと無理。「これでも軽い方だと言われた」と。

コロナ、最初は微熱があっていったん下がったけど、そのあと、いっきに40℃近い高熱が10日続いて、体調悪いと思ってから検査するまで1週間以上。濃厚接触者になった発熱してない家族に検査キッドが来るまで、また1週間。「………」。熱が高いので寝ても体が痛くてすぐ目が覚めて。「自分が死んだら、子どもたちは…」と考えたと。

あまりにもしんどくなって救急車を呼んで、「コロナ陽性」というと、酸素濃度をはかられて、酸素濃度88だったら、「運ぶ病院がない」と断られる。保健所は「酸素濃度が85%きらないと搬送先探せない」と言われたと。「ホテル隔離」も「すぐは難しいし、隔離であって、治療ができるわけではない」と言われたと。

今の大阪のコロナ禍、これがリアル。

自分はコロナにかからないって、なんでいえるの?

どこで感染するかわからないですが、今、自分ができること、手洗い、うがい、マスク、フェイスシールド、最小限の外出を、気を緩めることなく続ける以外、大事なものを守れないと話しをきいて思いました。

おおさかの ころなか。

 長い間ブログお休みしてました。

大阪コロナで大変なことになってます。コロナ患者さんを対応している現場最前線の方々の大変さをおもうと…      

大阪にいて、コロナ誰かかってんの?と思う人いるかもしれませんが、大きな病院に行くと、「今は、手術できない」「今は、治療できない」という言葉に遭遇します。今までお世話になった病院の看護師さんも入れ替わり、看護力も    

変異株が出てから、うちの訪看スタッフやヘルパーさんたちにお願いして、サービス入るときは、マスク、メガネ、フェイスシールド、手洗い、消毒を実践してもらってます。日常生活の支援に入っている現場の私たちができること、「相手にうつさない、自分もうつらない」で、がんばってもらっています。

 15年以上支援する側で知っていた人がコロナで亡くなりました。3月末で退職の挨拶の連絡をもらい、4月末には、亡くなって部屋の片付けをされたと連絡があったと。言葉がなくて。無念。「あんなに気をつけていたのに…」と。どんな状況で亡くなったのか誰もわかりません。基礎疾患があったとはいえ、70歳。思い出すのは、糖尿病あるのに、事務所にチョコレート持ってきて、 あかんやんと注意されて。

また、支援する側のチームで働いている人の家族がかかって、今現在進行形で大変な思いをされています。家族みんなが無事に回復するのを祈るのみです。

 いつもぶら下げているドラえもん、体温計、オキシメーター、消毒液、手袋を持って、大きな嵐が過ぎ去るのを「不要不急の外出を控え」利用者と一緒に待っています。
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えーる。

 10年もっと知り合いのケアマネさんが、退職と自営のあいさつに来られました。介護保険事業者番号まだですけどと、名刺、ロゴマークを見せてくれました。ドラえもんと一緒に記念撮影。 ギンヤンマ です。シンプルだけどなかなかセンスが光ります。
      門出
今 ギンヤンマが 働いている事業所、なかなか厳しい事業所だと  思っています。よく頑張りきったなって      

 のギンヤンマの印象は、介護事業所の中では異彩を放っており、精神科の利用者さんをうまく治療につなげている姿をみかけてました。いいケアマネさんなので、禁じ手なんですが、「自分のところのヘルパーさんはいいから、ケアマネだけしてほしい」とお願いして玉砕をくらた過去があります。この人にかかわってもらいたいと思う社会資源には積極的に  アプローチ  する  です。

自営したら気兼ねなくケース頼めるし、チームとして一緒に動けるので、  非常に  うれしい  です。さっそく、「うちのケース、何人ケアマネ持ってもらえる?」と交渉を。ケアマネ頼みたい人が、サクサク、頭の中にわいてきました。

いつも一緒に仕事をしている、ヘルパー事業所の社長にも「グッドニュース」と話をししたら、「いいですね」と。また、一緒に仕事をしている、相談支援の方にも連絡をしたら、「紹介してくださいね」と。

― ケースと一緒に笑って泣いて、たま~に怒って・・・そんなところで悩めたら、幸せで、自分のこれからの目標もそこにあります ― と言える、ギンヤンマの夢にエールを。

まちのふうけい。

 すいません、3ヵ月ぶりくらいにブログ更新してます。生きてたんですけど、書きたいこともあったんですが、パソコンの前でゆっくり文章考えている時間がなくて。

今年一年を振り返ると コロナ につきますが、  にとって大きな出来事は、大阪社会医療センター附属病院の移転です。
毎日、事務所の上のケースに配薬するとき、非常階段から電気ついている社会医療センターをながめて、「同志」の姿、写真とってたんですけど、それができなくなりました。
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病棟に患者さんがいた最後の日、令和2年11月30日(月)午後10時すぎの写真。

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役割を終えた、令和2年12月1日(火)午後10時すぎの写真。

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令和2年12月30日(水)午後10時すぎの写真。

昨日、夜、少し雪がちらちらして。社会医療センターの役割は終えましたが、旧西成労働福祉センターのまわりには、野宿している人がかわらずいます。

おじぞうさん。

 かかわっているケースが歳を重ねていくのを日々見て、見ている私たちも歳を同じように重ねていきます。

ずっと、釜ヶ崎で仕事をしている中で、他の所属の人たちも知り合いになって、いろんなこと話をする。ケースのことで困ったときに相談させてもらったり、訪問看護ステーションを立ち上げるとき、どうやったら看護師を集めれるのか頭を抱えていた時に相談にのってもらったり、逆に、ケースを頼まれて、生活保護かかるお手伝いをしたり。

最近、その知り合いが体調を崩しました。

長年仕事をしていたら、支援している側も体調崩すことはあります。そして、今までのようなペースで仕事ができなくなる。そんなとき、「(体の調子が悪い自分が)仕事を続けていいんだろうか…」という思いがよぎる。

自分がしんどくない程度で、仕事ができたらいいんじゃないかって。また、調子が悪い今の自分を、自分がまず受け入れ、まわりのかかわっているケースも受け入れてくれると信じる。【ただ、そこに居ること】が大事なんじゃないかなって。お地蔵さんと一緒です。話たり、動いたりしないけど、ただ、そこに居ること、それでみんなの気持ちが落ち着く。そういう役割ってあると思うし、大事にしたいと思います。
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困窮者総合相談支援室Hippo.(ひぽ)

Author:困窮者総合相談支援室Hippo.(ひぽ)

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