ふくしをえらばない。

何をしに?
ふるさとの会支援講座(←詳細はクリック)参加と、別件で。
この支援講座「第2回 刑事施設後の地域生活支援講座~司法と福祉 軽度知的障害を持つ人への支援~」というタイトルがついている。
私自身、「司法」とか「刑事施設後」のことに、あまり興味があるわけではない。
一生懸命、その領域で仕事をしている人、仕事を始めようとしている人は知っている。
たしかに、「あまり興味がない」と書いたけど、目の前にいる人たちとかかわっていくには、この間、「しょうがい」についてブログで3人紹介したように、ケースは待ってくれない。(ブログはこちらクリックして

しょうがいをもって(ないかのびょうき)①
しょうがいをもって(さきをみる)②
しょうがいをもって(じゅよう)③
けど、なんか、「海底深く沈んでいるヘドロ」みたいな

沈殿しているくらいなら、脳みそをかき混ぜてもらって、
ちょっとでも、なんか出てこないかなと思っての研修参加。
そう、「藁にもすがる思い…」という諺をつかったらぴったり。
ケースに対して、いろいろ考え、あの方法、この方法と
生活をなんとかするためトライするが、状況は悪くなるばっかりなんだよな

内科の疾患をかかえている彼女なんて、すごく寿命を縮めている。
研修の最初と途中何度も繰り返されてきた言葉があります。
「(軽度知的障害を持つ人は)『福祉』を選ばない」 と。
今の困窮している状態よりよくなるのに、「福祉」を選ばない。
障害をもっている人たちにとって、今の「福祉」は選ぶに値しない。
今、私が提供できる「福祉」は彼女にとって、
野宿するよりも、売春もどきをするよりも、「地獄」なんだろうなと、ぶつぶつ。
糖尿病と慢性腎不全の彼女に、私が提供している「福祉」とは、
毎日、365日、朝事務所に来て服薬管理とお金を渡し、
18時、訪問看護かヘルパーが入って服薬を確認する、少しでも寿命を延ばす生活。
彼女はその「管理」された生活がイヤで、毎晩、
昔、野宿していたターミナルの地下街を、夜遅い時間まで、うろうろしている。
繁華街にいるとさびしくないのか?と本人にきいた。 だまりこむ。
そんなにさびしいなら、外で生活をする?ときく。
前みたいに、外で知り合った男の人と一緒に生活するの?ともきく。
「さびしさはなくならないよ、生きてる限り誰しもそうだと思うから」と本人に声をかける。
「今の生活を続けていたら、早く死ねるかもね」とも。
『緩慢な自殺か』と小さい声でいいながら、
彼女が望む「福祉」とは何なんだろうと、施設入所の準備をしながら考えている。
彼女が朝インシュリン注射をうった後に、食べるおにぎりを握って今日の業務は終了。
今年度は今日で終わり。明日から新年度。はやいですよね、みなさん
















ふるさとの会の今回の研修すごく考える内容が多かったので、
またブログにそのときのこと書く機会あると思います。
そのときまで、研修の内容を「発酵」させておきます。
なんか、強烈な腐敗臭がしそうだけど、現場はそういうところです。