もろはのつるぎ。

「支援」はケースの状態を良くすることもあれば、悪くすることもある。
日常的に相談・支援の業務に携わっていたら、そういうことはよく思う。
野宿をも経験しなければならない「最悪」の状態で、
精神科的にもしんどいところからスタートして
主治医が薬剤の調整をする、
生活支援に携わっているメンバーは生活の基盤を立て直す。
生活の基盤が一定落ち着いたら、年齢が若い場合は就労を目指して
昼間行くところを探しに行く。
ただ、元気になればなったで、別の課題が出てくる。
その課題をどう解決していくか、本人と支援しているみんなで話をする。
ただ、本人に返す作業をするのだが、うまくいかない。
支援することで、支援者がいる中で、本人は「責任」をとることになり、
「またやっても大丈夫」「バレなければ大丈夫」となってしまった。
さらに周りの支援している人間を「利用」して、「なんとかなる」だろうと思ってしまう。
そういうときは、すべての支援をひく以外ないと思っている。
(支援をひくことで、生命の危機にさらされる場合はもちろん別)
続けてかかわることで、さらに「考える」機会を奪ってしまう。
支援をひくときも、なぜ支援をひかないといけないか話をする。「考える」材料はいる。
自分がしたことに対して、直接的に責任をとらなければならない状態をつくる。
本人が「考える」時間はいるのではないかなと思っている。
自分で「苦しい」思いをしてもらう場をつくるのも、支援の一つではないかと思う。
伴走型支援の中には、あまりない支援の形かもしれない。
「支援」とは諸刃の剣
