お別れの日

年末にアパート管理人さんが黄疸に気付いてくれて、病院に行ったのが3ヶ月ほど前のことです。
「入院態度が悪い」と強制退院してからも、入院を希望したので、違う病院で入院するのですが、結局そこも看護師さんとモメて自己退院・・・。
家にいるときは、自分のペースで生活できるからなのか、そんなにモメることはありません。
訪問看護師さんが毎日来てくれたり、アパートの管理人さんがうどんを買いに行ってくれたり、同じアパートの友人が様子を見に来てくれたりと、なんとか自宅で生活していました。
在宅で看取ることも視野に入れながら、訪問看護師さんとヘルパーを入れるタイミングや、ベッドをどうするかとか、往診の段取りなんかも相談していました。
本人も調子が良いときは、行きつけの弁当屋さんに食事を買いに行ったり、近くに住んでいる友達のところに行ったりしていました。四柱推命が得意な人なので、私も部屋に行っては占い手帳をパラパラめくって運勢をみてもらったりしていました。
本人が希望する療養場所で、最期の時間を穏やかに過ごすことができるように・・・。と、関わってくれているみんなは、エネルギーを傾けてくれます。残された時間は限られているし、体の自由もだんだんきかなくなります。
できることが少なくなり、欲求も小さくなってきます。
「体調が良くなったら友達と高野山に行って願掛けしたい」と言ってた3日後には、近くの弁当屋さんまで行くことも出来なくなっていました。
ひとり暮らしで死と向き合うことは、想像以上にしんどいことだと思います。
訪問サービスの回数を増やしても、四六時中だれかが近くにいるわけではありません。
一人ぼっちになっている時間、死との恐怖感と隣り合わせです。
再び、からだのしんどさが強くなって入院を希望し、再入院になりました。
入院中も近所の友達や、地域で関わっていた訪問看護師さん、Hippoスタッフの誰かがほぼ毎日面会に行ってました。
逝去する2日前、母親への申し訳ない気持ちが本人からポロリ。
身内に関する話は今まで本人から聞いたことがなかったのですが、きっと、ずっと抱えていた気持ちだったんだろうなと。
亡くなってから2日たちますが、まだぼんやりして寂しい気持ちです。