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ちいきせいかつのげんかい。

 以前のブログ( しょうがいをもって(ないかのびょうき)① )で紹介した
知的障害のある、糖尿病と腎臓病を患っている女性のつづきを。

現在、地域生活は限界だという判断が下されて、
かかわっている人間は、淡々と施設入所にむけて動き始めている。

以前にもブログに書いたが、
血糖値コントロールのための入院、結局1週間ももたずに退院になった。

地域で生活するなら、服薬管理と食事管理は必要と思われたので
退院後、朝はの事務所で服薬とお金(朝・昼分で1000円)渡すことに。
夕方は、訪問看護を毎日入れて服薬確認を考えたのだが、平気で留守。
もちろん服薬は自分でしなければいけないことわかっていても、全くできない。

置かれている状況が彼女はあまりにもわかってないので、
本人と、福祉のケースワーカーと、 の3人で話をする場をつくった。

6年間、日常的に支援にかかわり、毎日曜日食事をつくってきたが、
結果的に、寿命を縮めることしかできなかったので、支援を終了すると。

いろいろな支援を受けてきたが、今の地域生活を維持すのでは難しいので
①施設入所、②野宿、好きな方を選んでくださいという話をした。

福祉のワーカーには、「もう無理だ」という話はしていたが、
支援を終了すると言うとは思わなかったようで、非常にびっくりしていた。

本人は実家に帰ると言ったが、受け入れてくれるなら、今大阪で一人暮らしはない。

最後のチャンスを福祉のケースワーカーは彼女に伝えたが、
施設入所の準備をするための時間稼ぎにしかならないことは明白だった。

具体的な施設入所のために、彼女に後見人をたてるための動きが始まりだした。
後見人には、6年前彼女が「どうしても居宅保護」と言ったのを推し進めた弁護士に
彼女の人生を最期まで面倒みてもらうため、依頼して受けてもらった。

ただ、最後の在宅生活でのチャンスを福祉のケースワーカーはくれたのに、
彼女の部屋に行くと、ポテトチップスの空き袋やソースかつ弁当の残りが…。

どんなに食事を言っても無理。服薬しているから…。そんな悠長な状況ではもうない。
渡すお金を減らしてもお菓子を購入するだろうし、0円にしても行方不明になるだろう。

体重も1週間で約8kgも太り、今まで着ていた服がきれない。

外来で内科病院受診、採血の結果も悪い状態で維持されているが、
糖尿病末期なので、今の生活をしていたら、時間の問題であることに違いはない。

受診している精神科医に後見人申し立てのための、書類を作成してもらった。
月曜日に弁護士に渡して、本人申し立てで後見人をつけてもらうことになるだろう。

今日は、スタッフ同伴で、太ってズボンが入らないということで2本購入している。
ただ、それも施設入所したとき必要な服になるだろう。

もっと早く、どんなに本人がイヤと言っても、施設入所をすすめるべきだった。
たとえ「野宿」にもどることがあっても、今よりは寿命が延びたのではないかと。
短期的な目標も、長期的な目標も、彼女と一緒につくることができなかったと
毎日くる彼女のむくんだ顔をみながら、地域での生活の限界を噛みしめている。

さーびすていきょう。

 毎日の業務のなかで、
「サービスを提供する」ということが、どういうことか考えさせられる。

のやっている相談支援事業以外でも、訪問看護でも、訪問介護でも、
人を相手にしている仕事なら、起こりうることではないか
そう思って、っと立ち止まる。

何が? 「そのサービス、やりすぎじゃないのか…」

最近、ケースに「寄り添う」という言葉をきくけど、
ずっと「寄り添って」いればいいのか?
「寄り添った」先には何か見えるのか?
「寄り添う」=「抱え込む」?
「突き放す」ことも必要じゃないのか?

サービスを提供することで、状態を悪くしているのではないか?
できのわるい「依存関係」がつくられているのではないか?

かかわっている人間が状態を悪くし、かかわっている人間がサービスを増やしてる?
結果、かかわっている人間(サービス提供者)が儲かる。

「ケースのために」とか「ケースのことを考えて」という言葉は言い訳にすぎない。
自分たちのやっている「サービス」を立ち止まって考える時間は必要。

もちろん、理想だけで「収益」はあがらないことはわかっているが、
常に自分たちのやっている「サービス」に対して、悩み続けていかないとね。
プロフィール

困窮者総合相談支援室Hippo.(ひぽ)

Author:困窮者総合相談支援室Hippo.(ひぽ)

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