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だいがくにおじゃまして。

 今日は、 と一緒に、以前の職場にボランティアで来ていただいた方が、
教鞭をとっている大学の講義(公衆衛生看護学方法論)にお邪魔してきました。

何をしに?

学生さんに、 がやっていることを話してみませんか?とさそわれて。

は写真を見てもらいながら、具体的にかかわった、もしくはかかわっているケースの話を、 はもう少し、数字を用いて支援の構造的なこととか、地域の動きなど。

学部2回生で、まったく現場での経験もない学生さんたちを対象に、
【公衆衛生看護学方法論Ⅰ】では、毎回、実際に保健師活動を行っている人たちを
講師として、現場の生の声をきく、すごく斬新な講義をしてるんだと思いました。

医学部とか看護学部って、「就きたい仕事」がはっきりしているので、
学生さんの中に、【公衆衛生】に興味があり、私たちのやっていることに、
一人でも  と興味を持ってくれる人がいたらうれしいなと。


講義が終わって、学生のみなさんが感想を書いて帰る中、
編入された学生さんを含む3,4人が興味を持っていただけたようです。

が話をした学生さんは、
「精神疾患を抱えている人たちは、ずっと精神科の病院に入院していると思っていた。
(精神看護学で)精神疾患を抱えた人たちは結構地域で暮らしていると言わたけど、
具体的なケースの紹介で実感できた。
これだけ多くの、何らかの精神疾患を抱えている人たちの受診同行をしたり、
地域でどんな生活しているのか興味あります。
精神疾患は統合失調症ですか?…」と、あれもききたい、これもききたいという感じで、
思わず、 とうれしくなってしまいました。

うちの事務所から電車とバスで約1時間半くらいかかるところに大学があるので、
夏休みに先生と一緒においでよと約束。その場で「先生つれてってください」と。

一度見に来てみないと、釜ヶ崎ってなかなかわからないので。

夏休みに、学生さんが来てくれるのが楽しみです。

私自身、20歳以上年下の学生さんの前で話をしたりすることで、やっていることを
他の人に伝える難しさも感じ、気持ちを引き締めるいい機会になりました。

ちゃんす。

 なぜ、 が、訪問看護ステーションをはじめるようになったか…。

                   
もちろん、一つは、お金を稼ぐため。

この間、15年近く、釜ヶ崎という地域を中心に相談・支援を行ってきたけど、
既存の制度にのって相談・支援を行っているわけではないので、
行政からの補助金や助成金によるところがほとんどだった。

この関係の仕事をして目の前のケースのことだけしか考えられないときは、
「お金のこと」は、自分と関係ないことだと思い込んでいた。

ただ、この仕事を続ければ続けるほど、この依存体制、このままでいいとは思えない。
継続的支援を続けるためには、補助金や助成金に頼るのは、
あまりにも危険すぎることを、毎年実感している。
実感してから、実行にうつすのに時間がかかりすぎた感はあるけど、時期が来た。
今までやってきた相談・支援の中で、制度にのせれる部分をのせていこう。

                   
次に、自分たちが行っている支援の限界を超えるため。

支援を長年続けていると、【限界】というのか【壁】を何度も感じる。
個人的に、すぐ【壁】を感じてしまう、キャラクターなのですが、
【壁】はいつも正面突破しかないと思い込んでいた。どんなに息切れしても正面突破!
で、「いつも正面突破はつらすぎる」と言われたけど、すすむ以外ないと思ってた。
でも、すすめなくなるときが来ることがわかった。

ちょっと抽象的すぎるので、具体的な例をあげてみる。

では、お金とお薬を預かり、毎日渡している人が何人かいる。
落ち着いている人もいるし、何年もかかわっているのに、心配な人もいる。

どんな生活をしているのか、事務所に1日1回来た後、どうしているのかわからない。
お風呂入れてるのだろうか、ご飯食べているのだろうか、生活に必要なもの買えているのだろうか、言い出したらきりがないくらいある。
髪の毛やひげが伸びている、着ている服も汚れている、気になって「お風呂入ってる?」「洗濯してる?」ときくと、必ずといって「してる」と言われる。
たしかに、毎日薬をとりにきているし、お金を予定以外に出してというわけではない。
1日1回事務所には顔をだすけど、他のサービスには全くつながっていない。

「してる」と本人が言うのに、「できてないから部屋お邪魔してもいい」は言いにくい。
ただ、受診予定日に診療所に来ていないときなど、部屋まで訪問すると気になる。

訪問看護なら、医師と本人とスタッフが話をして、
決められた制度として、部屋に行って生活状態を確認することができる。
部屋に行くことで、事務所で見ていたものと違う課題が
浮かび上がってくるのではないかと思っている。
正面突破ではないのだが、何かきっかけがないと、先に進めない状態なのだ。

                   
そして、さらに一歩先の支援をめざすために。

今まで、 がかかわっていたケースは自分で相談に来たもしくは、
すでに知っている社会資源からの紹介で、その広がりは限定されたものだった。

私たちの事務所のある釜ヶ崎という地域には、支援が少しあるだけで
生活が変わるかもしれない可能性を持っている人たちが、たくさんいるのではないか。
その人たちとかかわる『手段』が一つ増えることになる。
それは、新しいケースとの出会いであり、社会資源との出会いにもなるのではないか。

「点」から「面」への支援を考えるチャンスになるのではないかと。
私は、いつも、プラス思考なので、「ちゃんす」と信じている。

                  

いずれにしても、まだ始まったばっかりではある。

やくわり。

 一人の人を支援するのに、どれだけの人がかかわるんだろう。
かかわる人の数って、それぞれの状況によって違うけど、
一つの社会資源だけで、オールマイティに支援できることなんてありえない。

かかわっている人たち、みんな、それぞれに「役割」があると思っている。

もちろん、それぞれの社会資源の間で、できることがかぶることはある。
そういう場合は、両方できるようにしておけば、一つの社会資源ができなくても、
もう一つの社会資源がカバーしてくれる「役割」を担う。

社会資源が増えることによって、ややこしくなることも多々ある。
それは、それぞれの社会資源が「役割」を担わない、もしくは、担えないからだと思う。

                           
例えば、医者はどのような「役割」があるだろうか。
まずは、治療だと思う。
治療をするためには、医者が見えない生活の部分などの情報をどれだけ
他の生活場面でかかわっている社会資源が集めるかが大事になってくる。

これが私たちの「役割」。

ヘルパーにしても訪問看護師にしても、その他の社会資源にしても
情報を集めるためには、生活の細かい部分をみていくことになる。
細かい部分を見ていくなかで、
「もうちょっとこうしたら、生活がよくなるんじゃないか」という発見がある。

その発見をケースに話をし、また、他の社会資源に伝えてみる。
伝えるときに、他の社会資源が気になっていることをきくこともできる。
で、さらに、他の社会資源からの意見も組み入れて一緒に実践する。

こんな感じで、かかわる人たちが増えることは、「純粋」に悪いことではないはずだ。

「純粋」に、ちょっとでもケースが調子よくなったり、機嫌よく生活できたら、それでいいのではないか。
                           

ただ、あまりにも「自分たち利益」を追求してかかわろうとする人たちが多いこと、
支援の中で、他の人たちの「役割」を考えず、「自分でできる」と思う人も多すぎる。

貪るような「利益」追及に嫌気がさし、我がの「メンツ」なんてどうでもいいのに。け。

そういうことを思う週末でした。

ほんしょう。

 夜の事務所で電気を消して、パソコンの明かりだけで仕事をしてた。

文章を書いてたのだが、ちょっと悩むとパソコンのスクリーンがスリープ状態に。

そんなときの、事務所のくまモンは  な感じ。

くまモンの本性

これが、くまモンの本性かもしれない。。。

くまモンは闇に消えているのか、闇から浮かびあがっているのか。

やみはひろがるよ、どこまでも。

おちゃめ。

 新しい お薬手帳  どうですか? 今回は女性用です。 

お薬手帳2

遊びすぎ?  おちゃめな遊びごごろがないと、この仕事続けられません。

ずっと、緊張状態だけでは、ケースも自分もしんどすぎます。。。
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困窮者総合相談支援室Hippo.(ひぽ)

Author:困窮者総合相談支援室Hippo.(ひぽ)

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