いけいけほうかんぶたい。


つまりは、

その人たちとは、すでに13年お付き合いしていることになる。
年月って、あっという間に流れていくなと

もちろん、そこまでいかなくても、かかわりだして5年経っている人たちはざらにいる。
かかわっている人たち全体の約半数くらいになる。
かかわっている人たちの中には、
①ヘルパーなどのフォーマルなサービスを導入、日常的に顔を見ないが、何かあったら駆けつけるというかかわり方をしているケース、
②何か困ったことが起こったら、本人が事務所を訪ねてくるケース、
③フォーマルなサービスを活用しながらも日常的にかかわっているケース、
④フォーマルなサービスを利用しておらず、ひぽで日常的にかかわっているケース、
… … … その人その人に、いろんなかかわり方をもっている。
この間、どうしても、うちは「 急性期 」的なかかわりが多くなってしまっていた。
・困窮状態で困っているからその状態を脱け出すため
・再び困窮状態に戻らないため
・病状が悪化したため
など、ちょっとどうなの?と思うかもしれないが、
状態が悪くならないと、細かい支援ができていなかったのかもしれない。
「かもしれない」という表現は不適切で、
細かい支援ができていないことを、前の職場からずっと気づいていた。
そうなった理由の一つとして、
困窮者の支援を行う中で、相談者・支援対象者の数に対して
スタッフの数、そしてそのスタッフの数を規定する予算が全く足りていなかった
という、今も変わらない現実をあげることができるのではないだろうか。
なら、相談者・支援対象者の数を制限すればいいという声は何度もきいた。
実際そうかもしれないけど、この地域で相談業務を一度始めたら
目の前に「おっ!」と思うくらい大変な人が来たとき、断れるか?難しい。
どのような形でかかわるのか、または、うちがかかわらないのか、
その判断を瞬時に迫られる日々は続いているのだ。
それだけ、この地域、困窮者が多いということであり、また、
これだけ、「相談」って看板が上がって相談しているところがあるのにとも思う。
この苦悩

ただ、最近少しその

それはどんなとき?ときかれたら、うちの訪看部隊が入るようになったときと答える。
今までできなかった部分に、フォーマルなサービスをうちが提供することで、
定期的にケースと関係を保ち、なおかつ、状況の変化を把握することもでき、
今まで、気になっていたけど、フォローできてない部分に入っていくことができる。
気になっていた部分ていうのが何か?「 慢性期 」 の生活の質をあげること。
状態が安定しているときに、やりたいことなどを見つけて生活の質をあげること。
その部分を、今、うちの訪看部隊は、ケースと話をしながら試行錯誤している。
一方で、うちの事務所についていうならば、
補助金だけで回していたのだが、収益事業(訪問看護)を今年度になってはじめた。
収益が

収益を増やすことで、ケースに還元していけたらなとは思っている。
今日、新しく入った訪看部隊の

精神科に5年以上通院して、状態が落ち着いているケースのところに行って、
部屋の模様替えの手伝いをしに行っているのだが、
何回かケースも会ううちに慣れてきて、

「お寿司食べたい」「マグロ食べたい」と話をしてくれたと

今まで、そういう話をすることもできなかったことを反省し、お寿司屋さんを探してる。
つぎは、訪看部隊、誰のことでうれしそうに話をしてくれるのか楽しみにしている。