
この仕事(釜ヶ崎での相談・支援)をして15年ちかくなるが、ケースとかかわるようになって
「街を歩く」 ことが増えた。
「街を歩く」 って、なに?
その地域(街)の社会資源と連携し情報を得ることだと思う。 相談・支援をしていくなかで、様々な社会資源の連携って大事だし、
社会資源に対する情報って大事だというのは、みんな思うことだと思う。
ただ、ここでいう社会資源って何を意味するんだろう?
もちろん、お医者さん、病院、ワーカー、ケアマネ、ヘルパー、訪看、社協、地域包括、作業所、…あげたらきりがないけど、そういう既存の枠組みにのった部分だけが社会資源じゃないんですよね。
例えば、商店街のお店なんてその一例。
この近所で安売りをしているスーパーで買い物をしてしまったらそれで終わりだけれど
食事って、ケースのみんなにとって一番楽しみであり、大事なこと。
何を食べたいのか、何がおいしいのか、っということで、商店街をうろうろする。
飲み屋はケースのツケを支払に行く以外は関係ないので、除外。
商店街の中は、いつもスーパーでレジ打ちしているおばちゃん
顔なじみになると、10%割引券なんてくれたりする。
その隣には鶏肉屋さん、ここのから揚げやっぱり肉屋さんなのでおいしい、
その隣は豆腐屋さん、自分のところでとうふをつくっている。
また、商店街の中にある古びた喫茶店は、10年くらい前に、お金をもったらすぐお酒にかわるアルコール依存症のおっちゃんが、モーニングコーヒーならぬ、モーニングミルクを特別にコーヒー券でしてくれた店。
その近所の八百屋は、とおりかかると「今日は何しましょう、まけとくよ」と声がかかり、
商店街から抜けたところにあるたこ焼き屋では「残ってるのまけとくよ」とここでも声が。
すべてこれらは、ケースとかかわったことで知り合った「社会資源」。
この「社会資源」、いつも一緒に買い物しているアルコール依存症のおっちゃんや認知症のばあちゃんが、姿をみかけなくて探しているときなど、「××にいたよ」と。逆に、

がどういう仕事をしているのか言ってるので、困ったことがあったら相談を受けたこともあった。ありがたいネットワークである。
「互助」 なんて難しい表現をするのかもしれないけど、昔、自分が子どもの頃には当たり前のようにあった世界。
また、この「社会資源」ちょっとの間、一緒に買い物に行くケースがいなくなり、ブランクがあいていても、また買い物をするようになりだすと、たとえ、それが一週間に一度でも、「今日はこれがおいしいよ」といろいろ声をかけてくれる。
その「おいしいよ」を、うちのケースに買って持って行って食べてもらう。
最近、ひさしぶりにケースの食事を日曜日買うようになり、
「街を歩く」 ことができ、昔の関係が復活している。