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みんなとおなじなやみ。

 今日は、スタッフが来てくれているので、くまモン母  に会いに実家に行ってきました。

最近、商売をやめて、くまモン父が亡くなって、ひとりで生活していることもあり、少し、認知がすすんだかな…と思いつつ、生活に支障をきたしているわけではないので、くまモン母  楽しく生活を送っています。

くまモン母  ケーキが好きなので2個ぶら下げて実家に    。
ちなみに手前のピンクなのカバです。くまモン母  何度もぶた?と言ってました。
   お土産20160321
で、  がケーキを食べるの見てたのですが、頭の真ん中から【チョップ
  バッサリ20160321
「脳みそズルズルって感じだね…」と言いながら、フォークでカットしているくまモン母  をみながら、血は争えないな…と妙なところで感心してしまいました。

最近のくまモン母 、くまモン兄たちから、歳をとたのだから、くまモン兄と一緒に生活しないといけないと「強要されてる」ことに対する抗議活動中だと言ってました。自由に生活したいし、体が不自由になったら、それはそのとき考えるわぃと。くまモン母  、  に抗議活動を続ける協力をしてほしいと。

最期をどういう過ごし方をするか、くまモン母  の希望を細かく聞くために実家に帰っておりました。かかわっているケースにやれていること、ちょっと物理的な距離はありますが、どこまでできるんだろうとブツブツ言ってると、くまモン母  「世間では、家族が一番だけど、 らしい。頑張らなあかんね。」と言って笑ってました。

いいわけ。

 生活と就労支援をしているケースうまくいかないことがあったら、隠そうとする。

隠して、一人で問題解決できたら、野宿に至るまで困ることになってなかったんちゃう。

それに、障がいがあろうがなかろうが、仕事で困ったことがあったら、相談するのは当たり前のことだと  思ってる。

なので、困ったことがあったら言ってというと、「言うのが恥ずかしい」と言われた。
- -言わないで、仕事を辞める方が恥ずかしくないのか- -

さらに「言ったところで…」と いいわけ をする。 いいわけ だらけの人生だ。 いいわけ ばっかりで終わっていく。あなたの人生そんなもの。。。

少しでも今の状況よりもよくなりたいと思わないのなら、支援できないし、しない。

いいわけ をすることは、自分の人生を自分が諦めることだ。

こわれた。。。

 Oh, No ! ! !

こ・こわれた。壊れた。コワレタ。

何が壊れた → 私が壊れた        

もとい、私はずっと壊れているので…。

壊れたのが何か、携帯電話です。。。

きゃ~仕事ができないよ~。スマホはいやだ~。そんなことよりも早くショップに。

 の携帯、持ち主にリンクしてるんですかね。きずかぬところで疲弊しているから、休めという悪魔のささやきのような気がします。

ふかくておおきなみぞ。

 今日、うちが訪看でサービス入っているケースが入院している病院で、現在の主治医も入れて、病棟看護師、MSW、ケアマネ、訪看責任者、サポーティブハウスのオーナー、 で会議が開かれた。

まだまだ治療の途中だが、「退院後の生活の場」をどうするかという会議であった。なぜ、このタイミングだったのか?と思う部分は多かったが、今回のケース会議の目的の裏には、病棟で「問題ケース」とされる、うちの訪看でサービスしている人が続いているので、病棟看護師が先手を打った、代理戦争的な意味があったのではないかと思っている。

あまりにも、内容がひどすぎてびっくりして、いろいろ口をはさんでしまった。病院の建て替えとか西成特区構想とか、いろいろ言われているが、これがこの地域の病院のレベルなんだとも思った。釜ヶ崎という、独特の地域にある病院、 が望む病院像から、遠すぎて非常に残念。  が夢をみすぎてるだけなんでしょうけど。

 が働いている地域、身よりのない、単身・高齢の爺さんが多い。今、病院に入院しているケースも、単身・高齢・認知とそろってる。今回は膝の痛みと熱発で入院中なのだが、全身状態もおちたことで、少し認知がすすんだかもしれない。ただ、「この地域でわしゃ50年生きとるんじゃい!」という、筋金いりの爺さん。その爺さん、要介護5で認知がすすんで、排尿・排便があったか意思表示ができないから、食事を全部介助しないといけないから、××だから… といろいろ言って、(管理上)施設、特養が妥当ではないかという話になった。

今回、会議で集まったメンバー、病棟看護師と主治医以外は、「え?施設?」とみんな思っていた。もちろん、爺さんの意思が一番ではあるが、爺さんがこの地域から離れた施設で、それも最期を施設で過ごすことが、しあわせなのか?と思ってしまった。

自分の親のときも、同じこと言えるんか?
何を一番大事にするのか、深くて大きな溝 を感じた。

がんばらなくても。

 訪問看護でかかわっているケースの中には、ターミナルってわけではないのだが、高齢のため、これからすごく元気になる というよりは、最期をどう迎えるか、ということを考えるケースもいる。

訪看のそういうケースって、  とのかかわりも、比較的長く、10年選手という人が少なくない。

どういう最期が幸せなんだろう…。

永遠のテーマではある。

ただ、一つだけ言えることは、もう頑張らなくてもいいんだよということ。川の流れに身を任せるように、風が吹いた方に柳の枝が流れるように、そんな感じで、最期、さらっと人生卒業できたらいいのにと思ってしまう。

最期にちょっと楽しいこと、うれしいことあったなと、しずかな最期をめざしています。
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困窮者総合相談支援室Hippo.(ひぽ)

Author:困窮者総合相談支援室Hippo.(ひぽ)

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