
今日、うちが訪看でサービス入っているケースが入院している病院で、現在の主治医も入れて、病棟看護師、MSW、ケアマネ、訪看責任者、サポーティブハウスのオーナー、

で会議が開かれた。
まだまだ治療の途中だが、「退院後の生活の場」をどうするかという会議であった。なぜ、このタイミングだったのか?と思う部分は多かったが、今回のケース会議の目的の裏には、病棟で
「問題ケース」とされる、うちの訪看でサービスしている人が続いているので、病棟看護師が先手を打った、代理戦争的な意味があったのではないかと思っている。
あまりにも、内容がひどすぎてびっくりして、いろいろ口をはさんでしまった。病院の建て替えとか西成特区構想とか、いろいろ言われているが、これがこの地域の病院のレベルなんだとも思った。釜ヶ崎という、独特の地域にある病院、

が望む病院像から、遠すぎて非常に残念。

が夢をみすぎてるだけなんでしょうけど。

が働いている地域、身よりのない、単身・高齢の爺さんが多い。今、病院に入院しているケースも、単身・高齢・認知とそろってる。今回は膝の痛みと熱発で入院中なのだが、全身状態もおちたことで、少し認知がすすんだかもしれない。ただ、「この地域でわしゃ50年生きとるんじゃい!」という、筋金いりの爺さん。その爺さん、要介護5で認知がすすんで、排尿・排便があったか意思表示ができないから、食事を全部介助しないといけないから、××だから… といろいろ言って、(管理上)施設、特養が妥当ではないかという話になった。
今回、会議で集まったメンバー、病棟看護師と主治医以外は、「え?施設?」とみんな思っていた。もちろん、爺さんの意思が一番ではあるが、爺さんがこの地域から離れた施設で、それも最期を施設で過ごすことが、しあわせなのか?と思ってしまった。
自分の親のときも、同じこと言えるんか?何を一番大事にするのか、
深くて大きな溝 を感じた。