ようやく、だっしゅつ。

もともと訪問看護がサービスに入っており、誤嚥性肺炎で調子が悪くなり、救急搬送、最初運ばれた病院から、すぐ療養型の病院に転院。誤嚥するので鼻からの栄養を入れます。その管を入れているという理由で、両手ミトンでさらに包帯で柵に縛り付けている生活が約1年も続いてました。途中、嚥下の状態を確認することも、全くなく。
転院した最初の2,3ヵ月は痰もあったのですが、その後、痰の吸引をする設備のない部屋にうつり、ヘルパー、ケアマネ、

ただ、ケースにとって、ヘルパーもケアマネも




そのうち、長期の入院で、もともと住んでいた部屋に帰るのは難しいとなり、家賃扶助がなくなった時点で、年金だけで生活するということで、保護廃止。そのタイミングで、認知症もあり家族と疎遠な単身者なので、後見人の申し立てをする手続きをして、後見人についてもらうことになり、縛られる生活からようやく抜け出すことができました。
大阪市西成区には単身・高齢者で家族と疎遠になっている人たち山ほどいると思います。今回のような病院も山ほどあると思います。病院で長期入院して、何もできなくて死ぬのを待っている人たち、いるんじゃないかなと。昔20年くらい前、働き出した当初に思った、悔しさ、苦いおもいを、久しぶりに、また感じました。
今回は、

胃ろうの手術した次の日、病院にお見舞いに行ったら、お腹いじるのでミトンはつけてますが、もうベット柵に包帯でしばられることのなくなった左手で



