よこいと と たていと。

単身で、高齢で、認知症があっても地域で生活するためには何が必要か、
若干ノイローゼ




まず、住むところが必要なのは分かる。さらに、家族がいないわけだから、介護保険など、既存の社会制度を活用できたとしても、できないにしても、生活を支えてくれるサービスは全然足りていないのは、分かっている。
で、東京のふるさとの会のように【生活支援】という発想が出てくる。
【生活支援】というのは、東京に限ってのことではない。
もちろん、大阪、釜ヶ崎でも、実際かかわっている人たちの状況を考えると、
【生活支援】が必要で、担ってきた歴史はあるのです。
では、その【生活支援】を誰が担うのか。
ふるさとの会は、究極的な言い方をすると、【生活支援】は、“生活者であるなら誰でもできる”と考え、資格の有無にかかわらず、≪どの職員でもある程度共通した対応ができように「対人援助マニュアル」をつくって≫職員研修をして、当事者も含め、新たな雇用の場としてすでに実践されている。
さらに≪互助≫の形成により、より細かな見守り、仲間づくりを目指している。
ふるさとの会のモデルは、【生活支援】を担える人たちの裾野を広げ、細かく張り巡らされた横糸(【生活支援】と≪互助≫)のおかげで、その布(地域)はすごく強靭になっていくと思う。大阪(釜ヶ崎)では、【生活支援】は誰でも担えるという発想がなかなかなく、自然発生に近い≪互助≫は存在していたと思うが、あえて≪互助≫を熟成することはしてこなかったので、新たな発想だと思った。
ただ、もうひとつ考えることが。いかに細かく力強く張り巡らされた横糸でも、縦糸が必要になることがあるんじゃないかなとも思う。ここでいう縦糸って何か?【専門的支援】であり、それを担うのは専門家、具体的に言うと、精神科医、内科医、看護師、ヘルパー、弁護士、…など専門的な資格を持っている人たちを意味している。
横糸は縦糸と繋がって、さらに強くなることはあると思う。【生活支援】をしている私たちが、いかに【専門的支援】をしている専門職に、日常生活の情報を伝え、一緒に支援対象者の困っていることを少しでも軽減できるか、これも横糸の役割なのかもしれない。また、【生活支援】に協力してくれる、縦糸(専門家)を探してくるのも、【生活支援】をしている横糸の役割だと思っている。
【生活支援】を担える人たちの裾野を広げること、そして、その裾野の中から、少し太めの横糸がしっかりと縦糸と絡むシステムの構築もいるのではないかと、ここ数日考えて思った。



