てがみ。

確かに、半年弱くらい、こちらに来てなかったな~と思い返しながら。
学生なので、忙しいときもあるから、特に何も思ってなかったのだが、
手紙の内容は「ボランティアに行けなくてごめんなさい」だった。
なんで、謝るんやろか?と私は思う。謝らなくていいんですよ

ボランティアって、来れるときに来たらいいものだと私は思っている。
無理して、自分にノルマをかして、来るものではないし、
そんな思いまでして、ボランティアに来てほしいとは思わない。
だって楽しくないし、続かないから。
ボランティアでかかわった人のことで気になることがあったら、
また次、ボランティアに来たらいいのではないかと思う。
うちのボランティアの内容として、
【炊き出し】とか【夜回り】と言われることは一切やってない。
野宿状態から抜け出すときに、病院や役所などいろんなところに行かないといけない。
ただ、いろいろ行かないといけないところは、相談者にとっては慣れていないところ。
なので、一緒に行って、一緒に話をきいてくれる人は必要だ。
そこで、ボランティアの人も一緒に、つきっきりで動いてもらうこともある。
また、野宿から抜け出したあと、地域で生活しているのだが、ほとんど一人暮らし。
ヘルパーなどサービスが入っていたら、誰かと話をすることもあるだろうけど、
そうでなかったら、家に訪ねてくるのはケースワーカーが時々。
65歳をこえたら、ケースワーカーが訪問するのは、年に片手で数えれるくらいだ。
なので、うちにあまり来ることもない、病院でもあうことがない人たちに
久しぶりにどうしているのかなとアパート訪問してもらうこともある。
同じように、病院にもお見舞い。ほとんどの人が、誰も来てくれない状態で、
天井とにらめっことして一日を過ごしている。
なので、お部屋でも病院でも、知らない顔のボランティアさんではあるが、

部屋にあげてくれたり、話しをしてくれたりすると、ボランティアさんが言ってた。
そのボランティアさんは、そのことを『不思議』と言ってた。
『見ず知らずの人を入れるなんて…』とも言っていた。
ボランティアとして、その人とかかわることは縁ですよね。
もし入院しているケースで亡くなったら、ボランティアさんにも葬儀の日程は伝えます。
縁ってそういうものだと思ってます。
ボランティアに来れなくても、釜ヶ崎というこの地域での体験は貴重なものだし、
ボランティアでこんなことした、こんな地域に行ったと、いろんな人に伝えてくれたら
それもボランティアだと思っている。そこに、縁が広がるかもしれないので。
昔ボランティアに来ていた保健師さんが、
大学の先生になって久しぶりにこの前来てくれた。同僚1人連れて。
それも、縁だと思っている。いろんな形の縁があっていいのではないかと思っている。
そんな気持ちで、この街、私たち

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